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Photo & Essay

◎  秩父札所第8番 

第6番を後にして第8番へ向かいました。


第8番札所

道路脇に斜面があって、
そこは上から水が湧いているのでしょうか、
ワサビが植えてありました。
ほんの少しの面積です。


第8番札所

ミズバショウも咲いていました。
ワサビの方は「ほんの少し」とはいっても、
いくつかの花が咲いていましたが、
こちら、ミズバショウはこれだけですから、
選択の余地がありませんでした。


第8番札所

途中の民家の庭にはハナモモが咲いています。
花の向うに鯉幟がありました。


第8番札所

第8番に到着です。
清泰山西善寺といいます。

ここのご詠歌は、

ただたのめ まことの時は西善寺 きたりむかえへん 弥陀の三尊


第8番札所

この寺はモミジの木で有名です。
樹齢600年近いコミネモミジです。
紅葉のころはカメラマンでごった返すようです。


第8番札所

カメラを少し上に向けました。


第8番札所

本堂の軒に掛かる枝先の葉はまだこんなものでした。


第8番札所

背の高い椿があって、
沢山の花が落ちていました。


◎  秩父札所第6番 

第6番札所

第7番を出て第6番へ向かいました。
これは武甲山でありません。
新緑が美しかったので撮りましたが、
色と輝きが表現できていません。
想像力を働かせて下さるようお願いします。


第6番札所

途中の道端に植えてありました。


第6番札所

黄色の花が続きます。


第6番札所

坂を登って寺に着くと団体の人たちがお経を上げていました。
狭い境内なので一部の人しか写っていません。
坂の下の駐車場には2台の観光バスが停まっていました。
多分70~80人の団体でしょう。


第6番札所

団体客が立ち去ったところで本堂の写真を撮りました。
第6番札所は向陽山卜雲寺といいます。
別名は「荻の堂」というそうです。

ご詠歌は、

初秋に 風吹きすさぶ荻の堂 宿かりの世の 夢ぞ覚めける


第6番札所

本堂の前に6体の地蔵様があります。


第6番札所

高台にあって狭く細長い境内なのですが、
その奥の方に紅白のハナモモが咲いていました。


◎  秩父札所第7番 

第7番札所

第9番を出て第7番へ向かいました。
順番通りでなくて、
巡り易いコースがパンフレットに書いてありますので、
それに従っています。

この日(4/16)、
ソメイヨシノは散り始めていましたが、
まだきれいでした。
ハナモモは真っ盛りです。


第7番札所

川に突き当るとヤマブキが咲いていました。


第7番札所

橋の上から撮った武甲山です。


第7番札所

第7番札所青苔山法長寺です。
別名で「牛伏堂」というそうです。
第9番に比べると大きな寺でした。

ご詠歌は、

六道を 兼ねて巡りて拝むべし 又後の世を 聞くも牛伏


第7番札所

別名の牛伏堂に因んで、
本堂の左側に牛の像がありました。

昔、行基が自分で刻んだ十一面観音を背負って、
この地を行脚中、
急に観音像が重くなったので仕方なく置いて立ち去った。
後で土地の牧童が草刈りをしていると、
一頭の牛が現れて、
座って動かなくなった。
そこで調べてみると、
草の中に観音像が見つかったので、
村人たちとともに堂宇を建てて、
像を安置し、
牛伏堂と名づけた。


とのことです。


第7番札所

本堂の右側には、
恵比寿・大黒の像がありました。
何故この像があるのか、
由来は分かりませんが、
拝むといいことがありそうなお顔です。


第7番札所

境内の片隅に石の鉢が置いてあって、
その脇にシャガがひっそりと咲いていました。


◎  秩父札所第9番 

4月16日、2回目の秩父札所めぐりをしてきました。
他の写真を載せていたため、
掲載が遅くなりました。

この日は7ヶ寺を回りました。
回った順番に掲載していきます。


第9番札所

武甲山の北面です。
この日のコースからはこの山がよく見えます。
何度か登場することになるでしょう。


ウィキペディアによれば、

「武甲山」の名称は日本武尊が東征の際、
自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝説に
由来すると一般にいわれている。

2002年現在の標高は 1,304メートル。
武甲山の石灰岩は日本屈指の良質な大鉱床であり、
可採鉱量は約4億トンと推定されている。
山の北側斜面が石灰岩質であるためにセメントの原料として
明治期より採掘が進められた。
1940年に秩父石灰工業が操業を開始して以降、
山姿が変貌するほど採掘が進められ、
とくに北斜面で山体の崩壊が著しい。
1900年(明治33年)の測量では標高は 1,336メートルを記録したが・・・



第9番札所

歩いて行くとハナモモを植えている家が多くありました。


第9番札所

大写しにしてみました。


第9番札所

第9番札所は明星山明智寺といいます。
今回の巡礼では各寺に掲げてある
ご詠歌の額を撮ることにしたのですが、
それは無理(不可能)だと分かりました。

額が掲げてない寺がある。
あるけれどもそれが堂内である。
そして堂内は撮影禁止。
なのです。

ガイドブックや境内の立て札に
書いてありますから、
それを引き写すことにします。

巡りきて その名を聞けば明智寺 心の月は くもらざるらん


第9番札所

明智寺のご本尊は如意輪観世音菩薩です。
上に書いたように堂内、ご本尊は撮影禁止ですが、
外の小さな小屋に如意輪観音の石像がありました。
可愛いので撮りましたから載せておきます。


第9番札所

境内に大木というほどではありませんが、
かなり大きな椿の木がありました。
まだ花を沢山つけていました。
その枝にお御籤(と思いますが)が結わいてありました。
こんな風景は始めてでした。


◎  牡丹の寺へ 

先日(4/22)ボタンを撮りにいったとき
牡丹の寺への行き帰りに撮った写真です。

牡丹の寺へ

途中に白いハナミズキが青空に映えていました。


牡丹の寺へ

赤いのも手前の緑のも、
モミジです。
(「モミジ」であって「紅葉=もみじ」でありません)


牡丹の寺へ

ナノハナ畑がありました。


牡丹の寺へ

寺に着くとボタンはまだ咲き始めでしたが、
ツツジは満開です。
赤いのはこれもモミジです。
ショウジョウでしょうか。


牡丹の寺へ

これもモミジの若葉です。
色がきれいに出ませんでしたので、
レタッチしてみましたが・・・
もっと輝いていたと思うのですが・・・


牡丹の寺へ

赤いツツジの向うに鎮座するのは弘法大師の像です。


牡丹の寺へ

今日はボタン以外の写真がメインなのですが、
折角ですから1枚だけ。


牡丹の寺へ

帰り道で撮りました。
行きは青空がバックでしたが、
今度は雑木林をバックに咲いていました。


牡丹の寺へ


◎  ハナミズキ(赤) 

ハナミズキ

今日は赤い花のハナミズキです。
「ハナミズキ」は白花で、
赤いのは園芸品種で
「ベニバナハナミズキ」というようです。


ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ


◎  ハナミズキ(白) 

ハナミズキ

ハナミズキも盛りを過ぎようとしているかも知れませんが、
撮りためた中から掲載します。
今日は白花ばかりです。


ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ

中心にある緑色の粒が花で、
15~20個付きます。
白いのは総苞片というそうです。


「総苞(そうほう)」は、
キク科植物の頭状花などに見られる苞の一種で、
花序全体の基部を包むもの。

「苞(ほう)」は、
花や花序の基部につく葉。
通常の葉に比して小形で、
ときに鱗片状をなすが、
種によっては色彩の美しい花弁状を呈するものもある。
包葉。


注記は広辞苑によります。


◎  牡丹 

牡丹が咲き始めたと知りましたので、
昨年も行った近くのお寺に早速行ってきました。
たいして大きくない牡丹園ですが
ほんとの咲き始めで、
いくつも咲いていませんでした。
でも咲いた花はきれいでした。


牡丹



牡丹

これはまだ開き切っていませんが、
他の花が淡い色ばかりなので載せることにしました。


牡丹



牡丹



牡丹



牡丹

蜜蜂が花から離れずに蜜を吸っていました。

もっと沢山咲いた頃、
もう一度撮りに行きたいと思っています。


◎  散歩道の花 

散歩道の傍らに咲いていた花たちです。

ハナダイコン

ハナダイコン
アブラナ科 オオアラセイトウ属
私の図鑑ではオオアラセイトウが本名になっています。
別名にハナダイコンとショカッサイとあります。


スノーフレーク

スノーフレーク
ヒガンバナ科 スノーフレーク属
葉はスイセンに、
花はスズランににているので、
スズランスイセンとも呼ばれます。


ヒメオドリコソウ

ヒメオドリコソウ
シソ科 オドリコソウ属


ホトケノザ

ホトケノザ
シソ科 オドリコソウ属
別名にサンガイグサがあります。
同じ科・属ですから、
花はヒメオドリコソウによく似ています。


ドウダンツツジ

ドウダンツツジ
ツツジ科 アセビ属
ご覧の通り真っ白な花です。
図鑑では隣にシロドウダンという種類が載っています。
面白いことにその花の色は緑白色です。
更にその隣にはベニドウダンがあります。
これは紅色です。


◎  ツバキ 

この春、
あちこちで撮ったツバキを掲載します。
ツバキ園のような花の名のはっきり分かる場所へは行きませんでしたので、
名前は不詳です。

ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ



ツバキ


◎  チューリップとモヤイ像 

あちこちで撮ったチューリップです。

チューリップ



チューリップ



チューリップ



チューリップ

並べてみたら赤ばかりでした。


別の色がなかったかと考えたら、
暫く前に渋谷駅前の「ハチ公像」を撮ったとき、
すぐ近くに「モヤイ像」というのがあって、
そこにチューリップが咲いていたことを思い出しました。

モヤイ像

ハチ公像と同様に待ち合わせ場所になっているようでした。


モヤイ像

横顔とチューリップです。


モヤイ像

裏に回ると別の顔でした。
チューリップも別の色になっています。


この像の脇に立て札があって、
こう書いてありました。

新島には古くから「モヤイ」と呼ぶ美しい習慣があった。
それは島民が力を合わせる時のみ使われた。
いわば共同の意識から生まれた素朴な人々のやさしい心根を表すものであった。
「モヤイ」は島の歴史とロマンを秘めた言葉なのである。
ここに集う人々よ、
ものいわぬモヤイ像はあなたに何を語りかけるであろうか。
願わくば私たちと共に
そのかすかな祖先の「モヤイ」合う連帯の心に胸を大きく開かれんことを。
昭和55年9月25日
新島村



これだけでは、意味や事情がよく分かりませんので、
『ウィキペディア』からの抜粋引用で解説します。

新島村(にいじまむら)は、
東京都心の南約160kmの太平洋上に位置しており、
有人島の新島、式根島、
無人島の鵜渡根島、早島、地内島から成り立っている。
人口は約3000人。

モヤイ像は新島村の名物の石像。
イースター島のモアイをモデルにしたもの。
新島には「抗火石(コーガ石)」という珍しい石が産出する。
軽く、また彫刻刀等で容易に加工できるという性質を持つ。
この石を材料として作られたオブジェが「モヤイ像」である。
地元のアーティスト大後友市が考案したもので、
新島の「モヤイの丘」など島の各地には多数のモヤイ像が存在する。
デザインも、イースター島のモアイ像を真似た形だけではなく、
さまざまな形状のものがある。
「モヤイ」はモアイを真似た名前であるが、
同時に、
新島の言葉で「力を合わせる」「助け合う」「共同作業をする」などの意味を持つという。

モヤイ像のなかで最も有名なのが、
東京都渋谷区の渋谷駅南口にある「渋谷モヤイ像」であろう。
これは、1980年(昭和55年)に、
新島の東京都移管100年を記念して、
新島から渋谷区へ寄贈されたもの。
イースター島のモアイ像に似ているが、
胴体部分はなくウェーブのかかった頭髪を加えたようなデザインとなっている。
バス停側とコインロッカー側で、
2種類の顔を持つのも特徴となっている。


◎  ヤマザクラ 

ヤマザクラ

数日前に撮ったヤマザクラです。
「花の命は短くて・・・」
今頃はもう終わっていることでしょう。


◎  札所第五番から第十番、第十一番 

第五番札所

第四番金昌寺を出て第五番へ向かいました。
途中にヒメオドリコソウとオオイヌノフグリが咲いていました。


第五番札所

約1.3キロで第五番に到着です。
ここは小川山語歌堂といいます。

昔、村の裕福な檀徒でもあった本間孫七という人が、
ある夜現れた一人の旅僧と
このお堂で夜を徹して歌道の奥儀を談じあったことによるそうです。
その旅僧は実は観音の化身でした。
それを知った孫七は、
歌を語る堂、つまり語歌堂と名づけたとのことです。


第五番札所

ここのご詠歌は、

父母の 恵みも深き 語歌の堂 大慈大悲の 誓たのもし


第十番札所

第五番からは市街地に向かう(つまり帰途につく)ことにして、
途中にある第十番を参拝しました。
ここは満松山大慈寺といいます。


第十番札所

ご詠歌は、

ひたすらに 頼みをかけよ 大慈寺の 六の巷の 苦にかはるべし


第十一番札所

次は第十一番です。
南石山常楽寺といいます。
小高い丘の上にあって、
桜がきれいでした。


第十一番札所

ご詠歌は、

罪とがも 消えよと祈る坂ごおり 朝日はささで 夕日かがやく


第十一番札所

第十一番常楽寺への坂の下にあったツツジです。


椿

そのあと、
第十五番へも寄りましたが、
ご詠歌を撮り忘れたので、
次の機会に掲載することにします。

花びらの縁が白い椿が咲いていましたので、
それだけ載せておきます。

先週の日曜日に回った霊場の写真はここまでです。
次回はいつになるか、
まだ計画がありません。


◎  石仏の寺 

第四番札所

第三番札所を後にして第四番に向かいます。
途中谷川を渡りました。
木々の枝先が赤みを帯びていますが、
新緑までもう少し間があるようです。
関東平野に比べて春が遅れています。


第四番札所

川のほとりにサンシュユが咲き始めていました。


第四番札所

ほとんど平らな道を1.4キロほど歩いて第四番に到着です。
高谷山金昌寺といいます。


第四番札所

山門に近づくと大きな草鞋が両側に掛けてあります。
そして石柱が立っています。
そこに「埼玉県指定文化財 秩父札所四番石仏群」と書いてあります。
この寺は石仏が沢山あることで有名です。


第四番札所

山門を入ると早速こんな風に並んでいます。


第四番札所

ここの石仏は普通の姿のものがほとんどで、
多少変った姿の像はこれくらいでした。


第四番札所

横からみた本堂です。
崖の上に立っているので正面からは写せません。


第四番札所

例によってご詠歌です。
四番荒木寺と書いてあります。
金昌寺という名しか知りませんでしたが、
別名だそうです。

あらたかに まいりておがむかんぜおん 二世あんらくと だれもいのらん


第四番札所

本堂の右端に「慈母観音像が」あります。
この寺を紹介するときには必ず写真が載るほど有名な石佛です。
赤ん坊にお乳を飲ませようとしているので、
「子育て観音」とも呼ばれています。

いろいろと言い伝えがあるそうで、
この像の下絵を描いたのは喜多川歌麿だとか、
実は隠れキリシタンが礼拝の対象としたマリア像であるとか・・・
それで「マリア観音」とも呼ばれているようです。


第四番札所

少しアップで写しました。
お顔はよく写りましたが、
アングルが悪かったようです。
赤ん坊はお乳を飲んでいるのではなくて、
右手で乳房を握っているのです。
そこは上の写真の方がよく分かります。

ガイドブックには、
「豊かな両の乳房をあらわにして・・・
豊満なエロチシズムにあふれている・・・」
とあります。


第四番札所

本堂の裏山(というと大げさですが、ちょっと小高くなっています)に登ると、
お堂があってひと巡りできる小道あります。

下りかけると大きな椿の木があって、
いっぱい花を付けていました。
下には落ちた花が散らばっています。
写真の中央上部に変な石があります。


第四番札所

変な石は石仏の胴体だそうです。
椿の木は小道の崖側にあり、
その反対の山側には道に沿って石仏が並んでいます。
ご覧のように首から上がありません。
石仏の首にご利益があるとかで、
どんどん盗まれたそうで、
山の上の石仏にはほとんど首がありません。

椿は首が落ちるといって忌み嫌われるそうですが、
落ち椿の散っている道に
首の落ちた石仏がならんでいるとは話が出来すぎています。


第四番札所

首の代わりに石ころが載せてあります。
こんなことをして、
ほんとにご利益があると思うのでしょうか。


ガイドブックによれば、

天明3年(1783)浅間山が大噴火した。
関東一帯に火山灰が降り、
農作物に甚大な被害が生じ大飢饉となり、
秩父でも多数の死者が出た。
そこで金昌寺の住職は千体の石仏安置を発願したところ、
全国から3800体も集まったという。
その後石仏は奥山の土砂の流出で埋没したりして減ったが、
現在なお1300体を数える。


椿の木のそばで出会った地元の古老の話では、
土砂で流された石仏は境内に山積みされていたそうです。
それを地元選出の衆議院議員荒船清十郎氏が発案して、
地域の人たち総出で並べ直しました。
その作業が嫌で他所へ引っ越して行った人も居たそうです。

荒船清十郎氏(1907~1980)は、
運輸大臣、行政管理庁長官、衆議院副議長などを歴任しました。


◎  巡礼道の花 

巡礼道

札所第一番から第二番への道は登り坂です。
簡易舗装で,
たまには車も通ります。
杉林の中を抜けて明るいところに出ると、
先日掲載したスイセン、タンポポ、スミレ、マムシグサなどが見られました。


巡礼道

モモの花も咲いていました。


巡礼道

サクラもこれから満開を向かえるところでした。


巡礼道

約2.1キロのきつくはありませんが、
登りばかりの道を歩いて第二番札所に到着です。
石段を登って行くとツバキの大きな木が頭上に枝を延ばしていました。


第二番札所

第二番は大棚山真福寺といいます。
ちょうど団体一組拝殿にいてガイドさんが説明していました。
聞くとはなしに聞いていたら、
この寺は、
それまで三十三箇所だった札所に後から加えられて、
それ以後三十四箇所になり、
西国、東国の三十三箇所と合計して百箇所になったのだそうです。


第二番札所

真福寺のご詠歌です。
なんでご詠歌なのか、といいますと、
次々と寺を回って、
なにか共通したものの写真を撮りたいと思ったからです。
撮り忘れる寺も出るかも知れませんが・・・

めぐりきて たのみをかけし大たなの ちかひもふかき たにかわの水


巡礼道

第二番を出て第三番に向かいます。
約2.5キロの道のりで、
今度は下り道です。


巡礼道

コブシの花が咲いていました。
(ベニコビシでしょうか)
コブシの向うはサクラです。


巡礼道

車道から脇にそれて、
江戸道と標識のある山道を下りました。
下り切ったあたりにミツバツツジが咲いていました。


第三番札所

平地になった道を歩いていくと小高いところに第三番が見えました。
サクラの中に埋もれていました。


第三番札所

第三番札所は岩本山常泉寺といいます。
境内に井戸があって長命水といいます。
手押しポンプでくみ上げるようになっています。
有難く頂いてきましたから、
生きている間は生きられるでしょう。


第三番札所

この寺のご詠歌です。

補陀落は 岩本寺と拝むべし 峯の松風 ひびく滝津瀬


◎  札所第一番四萬部寺 

総開帳の期間内に
第三十四番まで行けるかどうか分かりませんが、
とにかく第一番から始めました。


札所一番

〔山門〕

第一番は誦経山四萬部寺(ズキョウザン・シマブジ)といいます。
この寺の建物は34箇所中で一番立派です。
ここへはバスで行きました。
日曜日ということもあり、
満員でしたからバスが着くと
境内は善男善女で賑わいました。
路線バスの他に自家用車、観光バスの団体もいます。


札所一番

〔本堂〕

団体が一組本堂の中に入って行きましたので、
一緒に入りました。
団体には坊さんなのかガイドさんなのか分かりませんが、
そういう人がついていて、
寺の説明をしたあと、
大きな声で般若心経をあげます。
ツアーの人たちも唱和します。

今回は般若心経の本を持って行きましたので、
それを開いて一緒に唱えました。
札所めぐりは何度もやっていますが、
お経をあげたのは始めてです。


札所一番

〔紅白の綱〕
写真のように柱が立っていて、
紅白の綱が下がっています。
綱の向こう端は観音様の手につながっています。
だからこの綱を握って祈れば、
思いが直接観音様に届くのだと思います。


札所一番

〔ご詠歌〕
どのお堂にもご詠歌の額が掛けてあります。
ここのご詠歌は、

ありがたや 一巻ならぬ法のはな 数は四萬部の 寺のいにしへ


札所一番

〔山門前の椿〕


一番から三十四番まで歩くと、
約百キロになるそうです。
秩父という地域にまとまっていますから、
他の札所に比べると総距離は短いのかも知れませんが、
最後の方は寺の間の距離も長くなり、
山越えをしなければなりません。
(ハイキングとしては楽しみになります)

パンフレット記載の歩き方では、
6回に分けて
それぞれ10~12キロ位ずつになるようです。
バスも使いますから合計は100キロになりません。


◎  スミレ・タンポポ・マムシグサ 

スミレ

昨日は秩父で撮ってきたスイセンでした。
今日も秩父の花、スミレです。


スミレ

秩父へ行ったのは花を撮るためだけでありません。
実は「札所巡り」を始めたのです。
「巡礼」といってもよいのですが、
そういうと、
背中に「南無阿弥陀仏」と書いた白衣を着て、
「同行二人」などと書かれた菅笠をかぶって、
杖を持って歩く、
いわゆるお遍路さんの姿でないと
似合わないような気がします。

「札所巡り」ということにすれば、
リュックを背負ったハイキング姿でよいのではないでしょうか。
首からカメラを下げ、
リュックの中はお茶とお握りです。


タンポポ

道々にタンポポが沢山咲いていて、
明るい陽射しを受けて輝いていました。


「札所」というのは全国各地にあって、
三十三観音から成り立っています。
これを巡ってお参りすれば、
観音様が救済して下さるそうです。

秩父には他より多い三十四観音霊場があり、
西国三十三観音霊場と坂東三十三観音霊場と合わせて
日本百番観音といわれます。

秩父札所の観音様は十二年に一度だけ、
午年になると、
普段閉じられているお厨子の扉が開けられます。
つまりご開帳です。
一斉に開くので総開帳といいます。
そして総開帳のときに札所巡りが行われます。

今年は午年でありませんが、
室町時代に日本百番観音が誕生した報恩のために
3月18日から7月18日まで総開帳が催されるのだそうです。


マムシグサ

マムシグサを見つけました。
まだ葉っぱは開いていません。


マムシグサ

サトイモ科テンナンショウ属です。
同じサトイモ科ですから、
ミズバショウと花の構造は同じです。


◎  スイセン 

昨日は秩父へ行って来ました。
関東平野に比べると少しだけ春が遅いようです。
ソメイヨシノはこれから満開を向かえます。
ウメが(終りに近いですが)まだ咲いています。
そしてスイセンがあっちにもこっちにも沢山咲いていました。


スイセン



スイセン



スイセン



スイセン


◎  サクラと夫婦 

以前から時々掲載している二人の後姿シリーズです。


サクラを見る人

初老の夫婦がベンチに並んで腰をおろし、
目の前のサクラを見るでもなく、
目を伏せて、
自分たちの行く末を考えているのでしょうか。
横に座った猫も同じ姿勢で、
これも瞑想に耽っているように見えます。

華やかに咲き誇るサクラの下で、
静謐な時が流れている、
いや時が静止しているようにさえ見えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

撮影秘話。
ずいぶん古い写真です。
カメラにポジフィルムを入れ、
三脚に取り付けていた頃です。
(今はデジカメで手持ち撮影です)

サクラを撮っていて、
この情景を見つけました。
三脚を据えているうちに様子が変りました。

まず猫が立ち上がりました。
ベンチの前方へ歩いて行きます。
その猫に奥さんが気付きます。
奥さんは猫に声を掛けて呼んでいるようです。

こりゃ駄目だ、と観念しました。
でも、折角だから、
猫は諦めるとして、
夫婦だけでもさっきの姿勢になるのを待ってやろうと思いました。

そのうちに猫は奥さんの前を通り過ぎて、
ベンチの後ろ側に歩いてきます。
そしてぐるっと回って最初の場所に座りました。

夫婦は話し合ったり、
サクラを見たり、
脇を見たりしていましたが、
とうとう最初の姿勢を取ってくれました。

そこでパチリ。

次の瞬間には、
猫が動き、
夫婦も動く。
写真から受ける印象とは全く違った
せわしない夫婦と猫でした。

この写真は裏話を知らないでご覧になった方が
いいのかも知れませんが、
現実と写真とのギャップを
敢えて説明しました。


サクラを撮る人

この写真はご覧の通りで、
秘話も裏話もありません。

枝垂れ桜を撮っていたら、
老夫婦がやってきて、
すばやく三脚をセットして、
撮影に掛かりました。
同趣味で仲のよいご夫婦なのでしょう。


◎  「アメリカ」という名のサクラ 

アメリカ

サクラといえば「日本の花」と思うのに、
「アメリカ」という名のサクラがありました。


アメリカ

説明文を撮ってきました。
エドヒガンとオオシマザクラの雑種ですから、
ソメイヨシノとは兄弟の間柄になるのではないでしょうか。


アメリカ

ソメイヨシノと同じように白っぽく見えましたが、
説明文の写真はもっと赤みを帯びていますし、
本来の名前が「曙」だったということは、
曙色(淡紅色)なのでしょう。

光の具合なのか、
咲き具合のせいなのか
写真技術のせいなのか、
分かりませんが、
本来の色が出ていないようです。
来年に機会があれば、
それらしい色の写真を撮りたいものと思います。


◎  シロタエ 

シロタエ

シロタエ(白妙)
サトザクラの栽培品種。
明治時代に荒川堤から広まりました。


シロタエ

白色の大輪八重で花弁は15枚ほどになります。


シロタエ

花柄が短いため
花が下垂しません。
(と書いてありましたが、
写真では少し垂れていますね・・・)



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